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 このブログは、私のウェブサイト Instructor Fujiwara's Office Online におけるコーナー、 what he thinks (講師の徒然日誌) を継承し、ブログに移行することでより発展させることを目的にしています。

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徒然なるままに
| カテゴリ : 講師の徒然日誌 |
このページでは、私が思ったことなど、徒然なるままに書き綴っていこうと思います。
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「高学歴ワーキングプア」をめぐって
| カテゴリ : 大学はどこへ行く |
この本が出版されてから数ヶ月になるが、大学関係者だけでなく広く読まれているそうである。大学院を出ても正規雇用の職にありつけない現状を告発した本書には一読の価値があると思う...教員、学生などの立場に関係なく今現在大学に籍を置く人はもちろん、研究者や大学教員になるのを志して大学院進学を考えている人にも。
著者の水月昭道さんのプロフィールについては本書をご覧いただくとして、付け加えるとすれば、研究者としては下記の著書がある。


このように、研究者としての実績も持ちながら、いまだ正規雇用に与っていないという立場の著者だからこそ、説得力のある「告発」となっている。
もちろん、この種の「告発」は本書に始まったわけではない。たとえば、2003年には古谷浩さんが、著書『大学教授は虚業家か―学園のいびつな素顔』で、大学の閉塞的状況に「警鐘」を鳴らしている。とりわけ、「多いコネ採用」と題された節にある、

 文部科学省は、そのような採用のあり方を戒める意味から文書により公募での教員採用を奨めてはいるが、それを遵守している大学は、殊に私学においては極めて少ない。取材するかぎりにおいては、新聞広告を出したり、ネットのHPに募集広告を載せたり、他大学へ「教官公募」の文書を送付したりする大学は、確かにかなりある。
 だが、それらは、形式だけのことも多く、私学の場合、通例、採用予定者が予め決まっている場合が多いのだ。大学及び教授会の「自治」が、こうしたところで悪用されているといっても過言ではない。(p186-87)

という文章には身につまされるものがあった。
「学歴難民」と呼ばれうる立場にある私に、孤独のなかで悩んでいるのは自分ひとりではなく、実際に「社会問題として」同じ境遇に遭って苦しんでいる仲間たちがたくさんいることを示してくれたのが、水月さんの『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』である。
私自身の読後の感想から言えば、いくつかのブログでも指摘されているように、特に第5章以降は著者の論議の飛躍が見受けられなくもない。このような問題について、特定の著作物を指して批評する場合は本名による署名が望ましいのだが、インターネットの性質上、匿名での投稿も多い。
いくつか匿名での書評の例を挙げてみる。
コンピュータ関連と思しき hokky (cafe noir) さんは、「業績を出していない大学教員がいつまでも大学に居座っているから自分たちのポストがないという感じで、現在の大学教員に対する恨み節のような内容になっています」と斬っている。
同様に、cafebabe さんという匿名のかたは、「この本で注意すべき点は,一つは文系大学院の話で,理系大学院の話ではないので,理系の読者にとっては若干状況が違うということ.もう一つは,(それゆえに?)ネガティブな視点からしか描かれていないこと.」と評し、さらには「実際の公募では研究力,教育力,政治力も必要だが,実はなにより本人の性格が重要なことが多いと聞く.というのは,トラブルメーカーを一旦入れてしまった時に簡単に辞めさせるメカニズムが大学にはないからである.この著者はこんな本を書いてしまって,無事次の職が得られたのだろうか?」とまで心配している。
対して、教育系に携わっているというぶおーのさんは、

 この本は、筆者本人が、博士号を取得しながら、非常勤講師という不安定な身分にいること、さらに複数の、かつ様々な事情に振り回される「高学歴ワーキングプア」へのインタビューを交え、説得力の高い内容になっています。それだけでなく、研究の質で勝負すべき大学教員が、年功序列に支配されていること、大学法人がいかに学生を「食い物」にしているかということ−−などが生々しく書かれています。

と、水月さんの著書を評価している。
いずれにせよ、この種の「告発」が新書という手頃な体裁で出版されること自体に意味があり、しかも広く読まれているということで、私はいわゆる学歴難民問題に対する世論が活発になるのを期待している。
また、私は本書を読んで、面白いことに気づいた。私が個人的に用いていた「既得権」という概念を、偶然にも水月さんが本書におけるキーワードのひとつとして用いていることである。少子化の流れに逆行するとしか思えない大学院生の定員増について、著者は「文部科学省と東京大学法学部による『既得権維持』のための秘策」によるものだと説く。私は必ずしもそれが原因のすべてだとは思わないが、しかし大学院重点化政策が質より量を取ってしまっている現状は嘆いている。実際、既に大学院の定員割れも始まっており、これは若い人たちが情報を得て考えた結果の選択によるものだと私は思う。
次に、「既得権に与る立場の人たち」、現役の大学専任教員はどのような見方をしているのだろうか。まず、エンジニアの向井淳さんはブログ記事のなかで「わかりやすく言えば、本書の主眼は著者によるうらみ言にあるように思える。ようは業界哀話である」、「『自分は将来は博士課程を出て大学教授を目指すんだ』と夢見ている人に冷や水を浴びせるという点では良書だが、それ以外には効能はあまりないように思う」と評した上で、二人の、それぞれ本書について否定的な捉え方と肯定的な捉え方をしているという教員のブログにリンクを貼っている。
否定的な捉え方をしているとして挙げられているのは三中信宏さんのブログである。三中さんは東京大学大学院農学系研究科博士課程修了、農林水産省管轄から独立行政法人に移行した農業環境技術研究所を経て、現在は「東京大学大学院 農学生命科学研究科 生物・環境工学専攻 エコロジカル・セイフティー学講座 生態系計測学研究室」の教授である。ブログを拝見したが、「確かにすぐに解決できるような問題ではない。だからといって、この本はそのまま鵜呑みにしてはいけない」という指摘しか私は見つけられなかった。
一方、本書について肯定的な捉え方をしているとして挙げられているのは天羽優子さんである。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了、お茶の水女子大学からも理学博士号を授与され、現在は山形大学理学部物理生命化学科の准教授。先頃、大学教員同士のネットを舞台にした誹謗中傷問題に巻き込まれたことでも話題になっている。天羽さんの主張は、学歴難民問題の現状についても、またその背後にある原因についても、鋭く指摘しているので、以下に該当個所を引用する。

所属組織の利害には反することを承知の上で、私は、研究者になりたいという学生には、大学や独立行政法人の研究所に関する限り、当分の間はその見込みがほとんど無いことを正直に告げている。もしどうしても博士課程に行きたいならば止めはしないが、博士2年の春頃から修了見込みで就職活動して中途採用にならないようにフレッシュマンとして企業に就職すべきである。給料の上では、修士と同じ扱いの会社もあったりするが、それでもまともな生活をすることができるだろう。ポスドクは、その先がほとんど無いから、人生を棒に振る覚悟があるか、働かなくても食べていける収入源を確保している人でない限り薦めない。


なお、大学教員のうち、大学院重点化前に博士号を取得して就職した人の意見は、博士進学の是非に関することについては考慮するべきではない。その人達が進学した頃と今とでは状況が様変わりしている。昔なら、コネや力のある研究室に入れば、何とか就職先を世話してもらえたかもしれないが、今は人員削減で、人を紹介できる先もほとんどなくなっている。昔は博士課程進学の段階で選別がかかっていたから、ほとんどの人が数年のポスドクの後で常勤のポストを得ることができた(一部の分野でオーバードクターが問題になっていた、それにも関わらず重点化をやった人の正気を疑う)。

とにかく、現場の専任教員の人たちも、学歴難民の問題については十二分に意識せざるを得ない状況にあることはわかる(少なくとも、自分たちは既に「既得権」を持っているのだからと見て見ぬ振りはできない、ということ)。先の向井淳さんの「わかりやすく言えば、本書の主眼は著者によるうらみ言にあるように思える。ようは業界哀話である」という批判や、hokky (cafe noir) さんの「業績を出していない大学教員がいつまでも大学に居座っているから自分たちのポストがないという感じで、現在の大学教員に対する恨み節のような内容になっています」という批判に対しては、東京大学大学院総合文化研究科の特任講師である西山雄二さんの記事の一節、「水月は悲惨な博士たちの現状を取材し、報告しながらも、大学院生のたんなる恨み言を述べることはしない。大学院の諸制度が産み出す問題を客観的に分析しつつ、説得力ある論を展開している」が反論になるだろう。
その西山さんは、さらに水月さんの論議に加えて、水月さんが命名するところの「ノラ博士」について以下のようにもブログ記事で論じている。

水月が指摘していない論点を加えるならば、「ノラ博士」たちはさらに、奨学金という多額の借金を背負っていることが多い。(中略)博士号取得後、少なからぬ「ノラ博士」たちはただちに社会的な立場を失い、この現実を背負い込んだまま無職となるわけである。ほとんど自己破産にも似た、途方もないマイナス地点からの再出発である。


日本の国家政策の展望として考えると、大量の「ノラ博士」を放置する状況は好ましいものではない。博士1人を育成するために投入される国費は1億円から1億5000万円である。国民の血税が注ぎ込まれた博士号取得者が、社会の片隅でフリーターとして置き去りにされることは、社会の知的活力として大きなマイナスではないだろうか。ほとんど使用されない道路やダムが建設されることに対して公共事業批判が起こるように、大学院生の将来性に関しても、日本の社会設計という観点で活発な議論がなされるべきだろう。

「ノラ博士」の現状については、水月さんの著書と同時に、驚異的なアクセス数を誇る次のウェブサイトも参照していただきたい。有名な「もし世界が100人の村だったら」の秀逸なパロディでもある。

創作童話 博士(はくし)が100にんいるむら

ここで私自身の主張を述べてみる。
まず、大学院重点化の名の下、文部科学省の号令で大学院生を無造作に増やすのはただちに止めるべきである。もちろん、フィールドによって事情は異なってくるが、少なくとも本書でも示されているように、人文系の大学院生はいたずらに増やしてしまった感が否めない。「フリーター生産工場」の入り口を狭くしなければ、学歴難民は増殖を続けるばかりである。
さらには、量から質への転換を目指して、再び大学院から学部へとシフトを戻すべきである。本書で(そしてさらに本の帯で)例として挙げられているが、私学のみならず法人化された国立大学もあまりに人件費の抑え込みに躍起になっている。本書から該当個所をそのまま引用する。

 ある私立大学では、その大学で開講している全講座の専任教員による担当率は、わずか二四%だという。七五%の講義は、大学で正規に雇われている教員によってではなく、その大学に本来関係のない外部の人たちによってまかなわれているのだ。
 大学の教育的義務の側面を考えると、これはまずいのではなかろうか。(p111-12)

とりわけ私学では、非常勤講師の講義担当率がその大学の運営状況を表している、と私は考えている。そして非常勤講師への依存の高さの背景には、大学という世界における「世代間格差」があると私は考えている。つまり、「分野によっては博士論文を書かずとも、大学院の規定年数をクリアすればそのうち『天の声がかかる』、つまりコネによって就職を世話してもらうことができた、上の世代」と、「どれだけ業績を苦労して積み上げたところで、激しい競争率の、しかも場合によっては出来レースをたぶんに含んでいる公募を勝ち抜く以外に就職への道がない若い世代」との格差である。
私は、「上の世代」からただちに既得権を奪うべきだなどとは思わない。法政大学教授の川成洋さんがかつて、やはり日本の大学が抱える問題に鋭く切り込んだ著書『大学崩壊!』のなかで、およそ常識から懸け離れた大学教授たちについて「ただちに辞めていただきたい」と訴えたが、現実には専任教員は刑事罰を課されるか、さもなければ勤務する大学そのものが倒産するかしないかぎりは、定年まで勤めることになる。だが、いずれ年月が経てば、世代も交代していく。先に挙げた古谷浩さんの『大学教授は虚業家か―学園のいびつな素顔』をはじめ、問題行動を起こす教授たちを糾弾する書は枚挙に暇がないが、彼らはいずれ定年を迎えて大学の現場から去っていくのである。
それよりも、「研究のレベルを上げて国際的競争力をつけるため」という大義名分を掲げつつ結果的に「学歴難民」「ノラ博士」の増産に予算をかけるくらいならば、もっと学部の専任教員を増やすべきである。カリキュラムのコンテンツの充実をはかれば、それはそのまま大学の魅力として入学志望者を増やすことにもつながり、入学後の学生生活もより豊かになる。教員一人あたりの学生数の比率も下がり、学生に対するケアの向上にもつながる。そして、良くても非常勤職に甘んじている「学歴難民」や「ノラ博士」の雇用拡大にもつながる。
最後に、文部科学省が本気で、人選に関して公募を奨励するのであれば、もっと監視の目を鋭くして、大学の自治の名の下に公然とおこなわれる出来レースと、その背後に存在する学閥に対して、メスを入れるべきである。専任教員の候補生たちは依然として、「天から声がかかる勝ち組」と「公募で競うしかない負け組」に分けられている。以下に引用するのは、現役の大学教授だという gluhkriek さんのブログ記事である。

実を言えば自分も公募ページを参照して応募したことが何度かある。
結果からいえば、これで採用につながったことはない。
いくつかの大学をわたり歩いたが、多少なりとも「コネ」があって異動している。

公募ページを利用して、ある大学に応募し、不採用だったときには「?」という感じだった。
組織改変に伴う公募だというので、興味があったのだが、採用された人を知ってがっかりした。
それは、知名度はあるが学者としては「賞味期限が過ぎた人」と、学問的な業績は不明だがマスコミで売れ筋の研究者だった。
この人たちがわざわざここを選んで、自分の意思で応募したとは到底思えない。
最初からこの人事は決まっていたのだろうと疑った。
いまでも疑っている。

この記述の直後にはしっかりと、「ただ、自分が関わってきた大学の採用人事では、この公募ページをみて応募してきたと思われる人を不当に扱ったことは一度もない」とフォローを忘れていない。
「誰もが通り過ぎるようなトリビアを・・・ 特に,競馬,グラビア,ラーメン(ギャンブル欲,性欲,食欲)中心に動く凡人、いや宇宙人を目指す」を謳い文句に、Horse News Umanami と題された趣味関連中心のブログでは、「馬並主宰」さんが水月さんの著書に関連して以下のように記している(私だったら、パブリックなブログとプライベートなブログを分けているところだろうが)。

私も博士課程の人間。その境遇の一人。
実力はなかったが、公募ではなく、教授の知り合いからポストの空きの連絡があった。
コネが巡ってきた。ポスドクも経験せずに天の声が。運だけはあったようだ。
来年から小さな大学に赴任。名前を聞いても存在がよく分からないほどの大学。

「どうしようかと迷ったのですが、次に常勤のポストがまわってくるのはいつになるかわからなかったので、決めました。」

本文42ページの文章の言葉そのまま、自分の実体験になった。

進路が決まってたからこそ読めた本かもしれない。

「天の声」がかかって「運だけはあった」という「馬並主宰」さんは、早速次の心配をしている。

大学がこれから徐々に潰れていき、高学歴の大学教員が大量に路頭に迷うかも。つまりは大学教員難民が出る。

これこそ流行語「ネットカフェ難民」の大学教員版が将来起こりうる可能性も否定できない。

職を得られたとしても安閑としていられない。身につまされる問題だ。

しかし、実際には、異常に低い就職率に悩み苦しんでいるポスドク、オーバードクター、満期退学者、そして現役の大学院生が数多く存在している。Earlybird さんのブログには、以下のように記されている。

論文を発表するためには原則的に所属がなければならないので、
博士課程を終了した者は大学に学費を支払って
研究生として大学に籍を残しておかなければならない。
さもなければ、各大学院が独自に運営している学会に
籍を置いておかなければならない。私自身も年4千円の
会費を払って学習院大学ドイツ文学会に籍を置いている。
いつか論文を寄稿して、発表できることを望みながら。
大学の常勤の職を得ることができるのはオーバードクター
(博士課程修了者)の2分の一。

私自身のケースについては、機会が許せばいずれ別のエントリー記事で語りたいと思う。

私が今、一番にこの本を読んでほしいのは、文部科学省の官僚さんたちである。
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高学歴ワーキングプアの問題について非常によくまとまったエントリですな。 what he thinks | 「高学歴ワーキングプア」をめぐって で、問題はなぜか、大学の先生たちは大学にポストがないということを教えたがらない傾向にあるということにあるんじゃないかと思う。記
| すずめ鳩 | 2008/02/14 12:43 PM |
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